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詳細
閲覧数:1819
ID |
tk03211 |
アイテムタイプ |
Article |
このアイテムを表示する |
本文 |
tk03211.pdf
Type |
: application/pdf |
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Size |
: 1.1 MB |
Last updated |
: May 22, 2013 |
Downloads |
: 7467 |
Total downloads since May 24, 2013 : 7467
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タイトル |
松方正義と日田養育舘
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別タイトル |
Masayoshi Matsukata, the First Hita Prefectoral Governor and Hita Youikukan (Hita Child Welfare Facility) |
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著者 |
金子, 進之助
(Sinnosuke, KANEKO)
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出版地 |
別府 |
出版者 |
別府大学短期大学部 |
日付 |
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上位タイトル |
別府大学短期大学部紀要
No.32
(2013.
2)
,p.107-
113
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識別番号 |
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抄録 |
明治元年、初代日田県知事として赴任した松方正義は、当時同地方に悪習としてはびこっていた妊娠中絶をなくそうとして、先進的な児童福祉政策を実施した。日田養育舘の設立がそれである。当初禁止令や、指導によって悪習を絶とうとしたが、後諫山東作の進言や宇佐郡四日市の医師である渡辺方策の上申によって育児施設や、養子縁組の仲介機能を持った養育舘を設立することになる。これには咸宜園塾長広瀬林外の提言もあったとされている。現在日田郡堀田村三本松の東方、宇島畑に建設されたという敷地の後も保存されている。施設には、養育掛長、養育掛医師、金銭出納役、金銭預掛、里子預見廻役、周旋方長などの役員の他に舘内には産婆(助産師)および乳母をおいたといわれ、児童施設と、児童相談所的な役割を果たしたと見られる。ただ、松方が中央に去って以来数年にして施設は廃止された。財政的理由からであろうとされる。 |
キーワード |
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言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper |
Index |
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関連アイテム |
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