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ID | sg04609 | |||||||||||||||
アイテムタイプ | Article | |||||||||||||||
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タイトル | 関ヶ原の戦いについての高橋陽介氏の新説を検証する-高橋陽介氏の著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』を拝読して- | |||||||||||||||
別タイトル |
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著者 |
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出版地 | 別府 | |||||||||||||||
出版者 | 別府大学史学研究会 | |||||||||||||||
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抄録 | 高橋陽介氏が著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』(1)を昨年(2015年)11月に自費出版された。高橋氏からは筆者に対して謹呈送付していただき、感謝している。早速のその内容を拝読したところ、関ヶ原の戦いに関する高橋氏の新説による見解と、筆者(白峰)による私見との間に解釈の相違がある箇所も見られるので、本稿では、そうした点も含めて、高橋氏の新説を検証していきたい。 高橋陽介氏の著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』(以下、高橋本と略称する)の内容は、以下 のような構成になっている(目次とあとがきは省略する)。 1 やはり「問い鉄炮」はなかった(6~9頁) 2 一次史料のみによって考えるということ 九月十五日付徳川家康書状を読む(10 ~ 13頁) 3 では実際にはどうだったのか 九月十七日付吉川広家書状の別解釈 九月十七日付吉川広家書状の別解釈①(14 ~ 17頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈②(18 ~ 20頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈③(21 ~ 23頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈④(24 ~ 27頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑤(28 ~ 30頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑥(30 ~ 33頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑦(33 ~ 40頁) 4 山中における西軍の布陣について(41 ~ 45頁) 5 なぜ西軍は関ヶ原へ向かったのか 九月十二日付石田三成書状を再考する 九月十二日付石田三成書状を再考する①(46 ~ 50頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する②(50 ~ 53頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する③(53 ~ 56頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する④(56 ~ 59頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する⑤(59 ~ 68頁) 6 南宮山からみた東西両軍の布陣 九月十二日付吉川広家書状による裏付け(69 ~ 77頁) 7 島津軍の中央突破・「島津退き口」について(78 ~ 82頁) 以下、順を追って、内容を検証していきたい。 |
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キーワード | ||||||||||||||||
NDC | ||||||||||||||||
言語 |
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資源タイプ | text | |||||||||||||||
ジャンル | Departmental Bulletin Paper | |||||||||||||||
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