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閲覧数:1140
ID |
m1013009 |
アイテムタイプ |
Article |
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タイトル |
立地環境からみる埋納遺跡の構造的検討とその展開:九州地方を中心に
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別タイトル |
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著者 |
豊崎, 晃史
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別府大学大学院文学研究科文化財学専攻
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日付 |
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形態 |
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識別番号 |
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抄録 |
要旨
弥生時代における青銅器は、政治・祭祀的性格の強い遺物である。特に九州地方においては、武器形青銅祭器の矛を中心とした祭祀的文化圏とも呼べるものが形成される。また、武器形青銅器の副葬に関していえば、正確な発掘調査に基づく資料が提示され、共伴する甕棺やその他の副葬品から時期や型式、またその性格や用途についても研究が行われ、ほぼ全容が明らかにされている。しかし、武器形青銅祭器の埋納においては、現在様々な諸説があり、その多様性が大きな課題とされているのが現状である。埋納については、使用・伝世期間などの時期的な問題や共伴遺物がほとんど確認されず、また、その多くが山間部などの奥まった地点からの不時発見のものであるといった埋納地の立地的な問題点がある。そこで、本稿においては、近年の発掘調査において確認された埋納遺構や出土した武器形青銅祭器の型式などの事例を加味しつつ、埋納が行われ始める弥生中期後半以降の武器形青銅祭器の価値体系の変化を、埋納遺跡の立地環境及び、武器形青銅祭器の型式別にみた展開を中心に、その背景について検討してみた。
すると、九州地方における武器形青銅祭器の埋納行為とその立地環境、また展開については、弥生中期後半から後期後半にかけて、分布域及び埋納地や埋納形態に様々な変化がみられる。しかし、所属時期などをもとに時期的な変遷で大別すると、その背景と要因が見えてくる。中期中頃から末の時期には、前漢鏡などに代表される前漢代の文物流入による北部九州社会を中心とした武器形青銅器の価値体系の変化による共同体的祭器が成立する。同時に埋納地に関しては、山間部などの人里離れた山奥に存在している。次に、後期前半の時期には、武器形青銅器の価値体系の変化に伴う武器形青銅器(主に矛)の規制緩和と国産の開始。また、集落に伴う埋納例が確認され始め、埋納という行為がよりムラなどの小さな単位の共同体において行われ始めたと考えられる。さらに、後期中頃~後期後半において分布が豊前地域に集中することからも、瀬戸内及び畿内地方を意識した搬入ルートの転換などの時期的な背景が考えられる。また、こういった背景をもとに武器形青銅器を生産・配布した北部九州中枢社会と、それを受容した各地域の内外的要因が密接に関係している。
つまり、埋納という祭祀行為を北部九州中心地からの視点でみるのと、それ以外の各地域からみるのでは、その祭祀行為の目的の捉え方に多様性が生じるわけである。中枢社会からするならば祭・政一致の同盟関係や、特に東方を意識した広範囲の文化的な交流を目的としていたであろう。しかし、地域社会からするならば各小集落やムラの維持や存続を目的としていたと考えられるわけである。このように、中枢社会と地域社会の互いのメリットが合致したため、埋納行為という祭祀が弥生時代において継続して行われたと推察される。また、そういった中で武器形青銅祭器が首長層などにおける階層の明確化や、当時の社会構造の確立に果たした役割は大きい。 |
キーワード |
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NDC |
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注記 |
平成23年度修士論文 指導教員 下村智 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Thesis or Dissertaion |
Index |
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