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ID m1013001
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本文 未公開
タイトル 西瀬戸内文化の九州東岸への波及:弥生後期を中心として
著者
青木, 翔太郎
別府大学大学院文学研究科文化学財専攻
日付
出版年:  - 
作成日
更新日
記録日: 2013-01-22
抄録 要旨
 卒業論文では、別府湾岸における弥生土器の発展と展開をテーマにやってきた。その中で大分の土器ではないものが出ており、その土器は四国から流れてきた土器であった。最初は大分との交流について書こうと思ったが、四国の土器は大分だけではなく、宮崎や鹿児島、福岡にも移動していた。そのため、豊前地域、別府湾岸地域、宮崎平野・大隅半島の三地域に分類した。

豊前地域では、主に北九州市から豊前といった福岡県の東岸で瀬戸内系土器が多く見つかっている。他にも、瀬戸内海を中心とした西日本に集中する分銅型土製品が出土している。この分銅型土製品は、天秤の重さを測るときに使用する分銅に似ていることからその名前が付けられた。分銅が多度製品はヒトガタの扱いを受けていたと考えられ、それが多くの人に受け入れられ、広い地域に分布した理由だと考えられる。

対して、大分で見つかっている土器は祭祀的な要素があるのは浜遺跡ぐらいで、この遺跡から出土する土器は瀬戸内の技術で作られたつぼや高坏が多く出土している。祭祀に使われた土器が多く、住居跡が見つかっていないことから豊後水道を中心に活動していた人々の墓地祭祀に使われていたとされる。別府市にある北石垣遺跡にて1点瀬戸内系土器と思われる甕が出土している。

宮崎平野・大隅半島では瀬戸内系土器の壺の口縁や矢羽透かしの入った高坏の脚部が見つかっている。広い範囲で同時期の、四国で作られた土器が見つかっていることから、広い地域での交流が行われていたと考えられる。この地域では、内陸部でも瀬戸内系土器が見つかっており、土器が出土した遺跡が川に面した遺跡であるため、川を使った交易が行われていたのではないかとも考えられる。また、川から離れた遺跡で瀬戸内の技術で作られた土器が出土しており、ここでは瀬戸内の技術を基にして発展した石包丁の製作技法が存在し、四国からの工人の移動又は宮崎、四国間での人の移動が行われていたと推測される。

豊前、豊後地域で見つかる複合口縁壺は瀬戸内や吉備で見つかる誤記の制作方法がそれぞれの地域に根ざした文化へと変化していったとも考えられる。また、これ等の土器の移動やモノの移動は後の土師器や須恵器などの古墳文化が移動する元になったのではないかと考えられる。宮崎平野では古墳時代になっても愛媛の祭祀に使われた鏡が見つかっており、弥生時代以後も交流が行われたことが証明されている。
注記 平成23年度修士論文
指導教員 下村智
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Thesis or Dissertaion
Index
/ Public / 修士論文 / 文学研究科 / 2011
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