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ID M1313005
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本文 未公開
タイトル 「野」と「山」の環境歴史学 ~くじゅう・阿蘇を中心として~
著者
種村, 英大
別府大学大学院文学研究科文化財学専攻
抄録 近年、自然科学の側面からは、生物多様性の重要性が盛んに謳われ、人文科学の側面からも、人と自然とが作り出す、文化的景観の重要性が指摘されている。この2つの大きな流れは、「人と自然は、どのように付き合っていくべきか」という共通の命題の存在を示している。
景観についての先行研究としては、総合地球科学研究所による、「日本列島における人間―自然相互関係の歴史的・文化的検討」があげられるが、ある特定の地域の歴史を時代ごとに追ったものではないため、地域間及び時代間の連続性に欠けてしまう。
そこで本論文では、くじゅう・阿蘇地域を中心としながら、どのようにして日本でも随一の広大な「野」「山」の景観が維持されてきたのか、中世~近代を中心に、環境歴史学の手法を利用して、明らかにした。
 第1章では、景観から人々の環境意識を探った。景観は、江戸時代中期の絵地図や、明治期の字図から作成した景観復元図や、空中写真から作成した景観概念図を利用した。これらより、くじゅう・阿蘇における景観構成要素は「里」→「森」→「野」→「山」であることが明らかとなった。
第2章では、第1章で見た、くじゅう・阿蘇地域における最大の景観構成要素である「野」が、なぜ今日まで続いたのか文献史料から探った。「野」では、近代末から放牧文化の進展と同時に、馬頭観音信仰が広まっていったことが明らかとなった。
第3章では、第1章で見た、「野」と「山」の境界部分に存在する、修験寺院に注目し、くじゅう・阿蘇地域における山岳信仰が、どのようなものであったか、「硫黄」資源に着目し、その開発の歴史と山岳信仰の関係について、考察を行った。
統括すると、「山」では、古くから自然信仰を基層として、修験道が栄え、「野」と「山」の間に修験寺院が置かれ、山域一帯の神聖性・超俗性が保たれてきた。中世においては、「山」の信仰空間は、「野」と「森」をも包摂していたが、近世以降、修験道が衰退するとともに「山」の信仰空間は、「野」と「森」から分断されていった。近代に入り、神仏分離が行われると、山域一帯の神聖性・超俗性は完全に失われてしまった。これにより、「里」の空間が「森」「野」「山」のすべてを包摂し、くじゅうでは水質汚濁の公害が発生してしまった。
以上より、自然信仰を基層とする、修験道の盛衰の歴史は、地域において信仰が果たしてきた、環境ガバナンスの歴史であることを示している。
注記 平成26年度修士論文
指導教員:飯沼賢司
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Thesis or Dissertaion
Index
/ Public / 修士論文 / 文学研究科 / 2014
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