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閲覧数:1627
ID |
M1313003 |
アイテムタイプ |
Article |
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タイトル |
縄文時代の生業から見た土偶祭祀の検討―特に九州地域を中心として―
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著者 |
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抄録 |
土偶についての先行研究では、集成作業や編年作業、形態的分類・製作法による分類・層位別分類、時期的検討などがおこなわれてきた。しかし、土偶はなぜ縄文文化の中に出現してくるのか、なぜ土偶は製作されなければならなかったのか、明確な答えが示されているとは言い難い。そこで私は、土偶が必要な社会背景とはどのようなものであったか、土偶の用途はどのようなものであったかということについて、当時の生業と深い関わりがあると考え、これまでの研究ではなかった生業と環境変化に焦点をあて、九州地域を中心に独自に分析・検討を試みた。また、特に生業を検討するにあたっては、出土する石器組成に注目して論を進めた。
本論では、九州地域の土偶出土遺跡における土偶の編年的分布からみた石器組成と生業について、分析と検討を行なった。当時の生業をみることにより、土偶の役割とはどのようなものであったか。また、土偶はどのような生業のもとに用いられたか、土偶の編年分布と、ともに出土する石器組成から生業の中身を考える必要がある。したがって、各遺跡で出土している石器には多くの種類があるが、土偶が出土した遺跡の生業を反影しているとみられる石器群、特に狩猟具,伐採具,土掘り具,粉砕具の4種類について分類し、また同じ環境を考慮して、概ね高燥な高原台地に立地している遺跡と台地や沖積地に立地している遺跡という2つのパターンを設定して、遺跡を分類し検討をおこなった。その結果、両立地環境に共通して言えることは、縄文後期後葉中段階に畑作や焼畑に対応する取り組みを行っていたにもかかわらず、縄文後期後葉新段階~後期終末になると畑作や焼畑は衰退し、狩猟・採集に回帰する様相がみられる。これらは、どのような状況を示しているのであろうか。再度、狩猟・採集が盛んに行われるようになる時期と、土偶の最盛期が同じ時期であるというという点は何らかの関係性を想起させる。土偶は狩猟・採集に強い関わりをもっていたと考えられるならば、それらの増産に関わる祭祀に用いられたのではないかと推察できるのである。
また、このような狩猟・採集の衰退と回帰には、気候変動が大きく関係していると考えられる。一度失敗したとはいえ、畑作などを行っていたことによって、水稲耕作へ移行するための基盤ができつつあったことも事実である。そのため、韓半島から水稲耕作が伝播するとすぐに取り入れられ、水稲耕作が普及していった。もともと弥生時代の水稲耕作は穀霊が祭祀の対象であり偶像崇拝はない。したがって、九州地域の土偶は縄文時代の終焉とともに廃れていった。以上のことから、土偶は縄文草創期以来、狩猟・採集を対象とした祭祀に用いられる、狩猟・採集(植物質食料は除く)の神であったのではないかと結論付けたい。 |
注記 |
平成26年度修士論文 |
言語 |
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資源タイプ |
text |
ジャンル |
Thesis or Dissertaion |
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