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ID M1113005
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本文 未公開
タイトル 甕棺文化圏における階層化の構造的検討 : 甕棺法量を中心に
著者
馬場, 晶平
別府大学大学院文学研究科文化財学専攻
日付
出版年:  - 
作成日
更新日
記録日: 2013-06-11
抄録 【要旨】
北部九州における弥生時代の特徴的な墓制の一つに甕棺墓がある。棺専用の大甕を用いており、分布の大部分は脊振山系を地域に限定される。甕棺墓は2万基を超える出土数と多様な墓地構造を伴うため、集団構造などを解明する上で有効な遺物である。一般的に副葬品は大型の甕に伴う傾向にあり、副葬品と棺体サイズ、外部施設との組み合わせの視点から階層性に関する研究が進んできた。本研究では今までの研究に加え、甕棺墓という墓制から階層化を構造的に検討する。その手段の一つとして、新しく“容量”の差から検討を行った。
その結果、前期末から中期初頭にかけては容量域があまり変化しないことが判明した。最大領域も600ℓ前後が最も大きい甕棺となる。前期末は棺体を大きくすることによって他者との差異を強調してきた。しかし、甕棺葬が普及する中で、甕棺墓以外での埋葬により差異を見出したのが中期初頭段階といえよう。次の中期前半にかけて、甕+甕の使用が増えたことから、容量域、器高共に増加傾向にある。集落を拡大化する上で農業共同体の結束は重要なものであり、統一する必要性がでてきた。それを示すのが中期前半の爆発的に増加する同じ器種を用いたと二列埋葬である。有力者達は区画墓、墳丘墓、容量など様々な要素を用いて差異を強調している。
中期中頃では作陶技術の発達と埋葬の効率化も考えられるが、新たな差異の手段の一つとして、甕+甕による埋葬を規制したのではないだろうか。それが中期中頃に見られる器種の大きな変容の一因だと考える。鉢+甕への移行によって、領域が大きく左に集中するものと、今まで見られなかった容量域を示すものがあり、階層差が開いているものと考えられる。また、副葬品を持たない一般集団墓内において突出した甕棺が存在することから集団墓内でも階層差があったといえ、おそらくは、家長に相当する人々が大型棺に埋葬されたものと考えられる。
中期後半に移ると、二列埋葬の終焉と共に、大きく容量域がばらつきを見せる。副葬品を持つ甕棺との差がさらに拡大化し、後期以後は急激に他の墓制に移行しつつ終焉を迎える。容量の変化は型式と共に変化している。中期中頃と中期後半では、大型甕棺使用の違いが見受けられ、中頃ではどの地域でも大型甕棺に副葬品が集中するのに対して、中期後半では、春日市周辺とその近辺で在り様が異なっている。さらに当時の集団構造、社会構造からも影響を受けていることが考えられ、器高だけでなく、内部空間の広さも埋葬観念に影響を与えていたと考えられる。よって、棺体の大きさは当時の人々にとって、棺被葬者の権力を示す一つの手段であり、有力者層によって戦略的に大型の棺体が使用されたものと考えられる。
注記 平成25年度修士論文
指導教員 下村智
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Thesis or Dissertaion
Index
/ Public / 修士論文 / 文学研究科 / 2012
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