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ID | M1113004 | ||||||||||||
アイテムタイプ | Article | ||||||||||||
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タイトル | 方墳造営から見る地域の支配と動向 : 終末期古墳を中心として | ||||||||||||
著者 |
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抄録 | 【要旨】 本論では、終末期古墳を題材として取り扱う。古墳時代は前期、中期、後期、終末期と分類が行われ古墳の存在意義が大きく問題点として研究されている。特に古墳時代後期から終末期にかけては天皇陵における前方後円墳から方墳への形態上の変化がみられ、また、国家が大きく変わっていった時代である。古墳時代終末期の画期を考察することで日本国の胎動が読み取れると考える。 前方後円墳の衰退時期は、地域によって異なるが、6世紀末頃には、ほぼ消滅する。この時期は、天皇陵にも変化が見られ、前方後円墳から方墳へと築造の墳形が変わっている。陵墓における方墳の採用は、用明天皇(春日山古墳)、崇峻天皇(赤坂天王山古墳)、推古天皇(山田高塚古墳)などがある。方墳が天皇陵に採用された後、九州地方でも方墳がかなりの数造営されている。これは、畿内の支配が九州の各地域に及んでいて、その影響を受けた地方の首長たちが方墳を採用したのだと考えられる。天皇陵の方墳採用意図とそれにより変わっていった地域の方墳造営の意義を終末期古墳から読み取り地域支配と国の変動について考える。方墳採用に関わる国の大きな変化があったのではないかと考える。また、天皇陵が方墳に変わる時期を境に方墳にかわる地域があり、中央政権と関わりを窺わせる地域がある。終末期における方墳造営の重要性を考察している。 本論では、天皇陵の方墳採用時期における地域の変化を、方墳分布また、国造分布などの視点から考察を行っている。また、7世紀中葉の大化の改新における薄葬令に関しての地域の規格性の比較を行い畿内と地域の支配関係について検討を行っている。また、天皇陵が8角墳になるのもこの時期である。畿内政権は地方支配をさらに強化するため官人制の強化を行い、墳墓を規制することで支配を地方の人々に目に見える形で表そうとしたのが薄葬令であったと考える。天皇陵の8角墳化については、方墳から固有の8角墳へ以降し、薄葬令の規定から脱することで、天皇を隔絶した存在へと押し上げようとしたと考えられる。 ここから地方支配は律令政権国家への道を歩む。終末期古墳は、畿内政権の支配体制の変化を表した古墳といえる。 |
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注記 | 平成25年度修士論文 指導教員 田中裕介 |
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言語 |
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資源タイプ | text | ||||||||||||
ジャンル | Thesis or Dissertaion | ||||||||||||
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