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ID M1113002
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本文 未公開
タイトル 天領日田における城と城下町の形成及び展開 : 永山城を中心として
著者
奥, 彩香
別府大学大学院文学研究科文化財学専攻
日付
出版年:  - 
作成日
更新日
記録日: 2013-06-11
抄録 【要旨】
永山城は慶長6(1601)年に小川壱岐守光氏によって「丸山城」として築かれ、元和2(1616)年には石川主殿頭忠総が「永山城」と改めた。それ以降は代官や郡代が入れ替わりこの地を治め、寛永16(1639)年に永山布政所ができると次第に政庁機能を代官所へ移していった。この、天領日田に存在した永山城、永山城の城下町である豆田町の成り立ちから現在までの歴史を紐解き、永山城の改修や破城・豆田町の形成過程、今は住宅地となって絵図でしか見ることのできない永山布政所の位置についてなど、文献史料や絵図、永山城発掘調査、現地に残る縄張り・石垣・虎口の観察などから検討し、日田における城と城下町の実態に迫った。
本論は永山城に関わる文献史料と考古学資料の2つを中心に据えてすすめている。前者では、永山城及び豆田町に関する文献史料の記述の抜粋、豆田町や永山城を描いた絵図などから読み取れることを上げ、「丸山町→豆田町」への推移、初期からほぼ変わることない豆田町の中で変化があった2点、鉤の手が形成された年代・川端町街路と宅地の位置が反転した年代の推定、また城内川と水路などから城と城下町の形成と展開についてをみた。また、寛永16(1639)年に永山城から政庁機能を移された永山布政所について、城・城下町と同様に文献史料と絵図・地籍図を用いて永山布政所の位置の推定を行い、また布政所が解体された年の推測など実態を探った。後者では、23・24年度の永山城発掘調査、現地に残る縄張り・石垣・虎口の観察などから分かることを記し、永山城で採取した石垣の矢穴の分類をし、この矢穴と算木に見える加工痕、石垣の状況から改修の回数と時期を見た。更に二の丸北部にある裏石垣からは波型に切り崩される状況が確認でき、破城とその時期について言及している。最後に文献史料と考古学資料、それぞれで分かったことを年表としてまとめ、永山城の変化と連動した豆田町の変化は、元和2(1616)年の石川主殿頭忠総の城と町の改称及び改修、天和2(1682)年~貞亨3(1686)年に入封していた松平大和守直矩の城の改修と土地整備の2点があげられ、他の時期では見られないことを示した。松平以降、城下町の変化が起こるが、代官が整備したなどの史料はない。但し、本研究は今後の発掘調査などにおける新資料の如何によって変動すると思われるので、日田における城と町に関しては、今後も要検討の必要性がある。
注記 平成25年度修士論文
指導教員 田中裕介
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Thesis or Dissertaion
Index
/ Public / 修士論文 / 文学研究科 / 2012
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