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ID M1111001
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本文 未公開
タイトル 室町・戦国期荘園における請負代官制の研究 : 和泉国日根野荘を題材として
著者
田中, 真悟
別府大学大学院文学研究科歴史学専攻
日付
出版年:  - 
作成日
更新日
記録日: 2013-06-11
抄録 【要旨】
請負代官とは荘園の経営を荘園領主から請け負った人々のことだが、彼らは領主への年貢を未進したり、進納契約額の引き下げを求めたりした。この行動の理由が不当利益確保のためだと従来は評価され、請負代官制は荘園制の崩壊を促進させたと言われてきた。だが近年になって、請負代官の未進や請負額の引き下げ要求に戦乱や天災が大きく影響していたのだという指摘が行われるようになっている。そこで、不当利益の確保や戦乱・天災の影響とはまた別に、彼ら請負代官が請負額の引き下げ要求等を行ってしまう第三の理由があるのではないかと考え、和泉国日根野荘を素材とし、それを探るということを本研究では行った。
まず一章では、日根野荘において請負代官制がいつから始まりいつまで続いたのかということを確認した。そして、一四〇〇年頃から少なくとも一五三三年までは請負代官制が日根野荘で続いていたということを明らかにした(表一参照)。
次に二章では、請負代官制が行われている間に、日根野荘の田地面積がどのような変遷を辿ったのかということを確認した。そして、一四〇〇年代半ばに田地面積の減少が少し確認出来たが、それ以降では大きな変化を確認出来ないということが分かった。
三章では、請負代官制が行われている間に、田地に賦課された年貢額がどのような変遷を辿っていたのかを明らかにした。そして、一四〇〇年代半ばに田地面積の減少と連動する形で年貢が減少しているが、その時期以外では余り変化が見られないということが分かった。
そして四章では、年貢から得られた分代、つまり銭がどう変遷したのかということを検討した。その結果、田地面積や年貢賦課額の減少が余り確認出来ない一四〇〇年代半ば以降にも、分代が大きく減少してしまっていることが確かめられた。その理由を探ったところ、従来指摘されていた戦乱・天災や代官の不法と思われるものもその要因の一つであったが、「和市」と呼ばれる米相場の影響が特に大きいのではないかという結論を得るに至った。
この和市の推移を概観してみると、多少の上下はあるものの、永享期(一四二九~一四四一)から永正期(一五〇四~一五二〇)にかけて米価が下落する傾向にあったということが分かった。永享三(一四三一)年と永正五(一五〇八)年の和市を比べると、永正五年において米価は三分の一以上に減じてしまっている(表二参照)。この米価下落の事実こそ、請負代官が請負額の引き下げ等を求めなければならなくなった要因なのではないかと思われる。
注記 平成25年度修士論文
指導教員 田村憲美
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Thesis or Dissertaion
Index
/ Public / 修士論文 / 文学研究科 / 2012
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